聖マリアンナ医科大学脳神経内科/難病治療研究センターの山野嘉久主任教授、新谷奈津美助教らと東京大学大学院新領域創成科学研究科の山岸誠准教授らの研究グループが、神経難病「HTLV-1関連脊髄症(HAM)」において、神経障害を引き起こす分子メカニズムを世界で初めて解明しました。この画期的な発見により、40年間謎に包まれていた病気の仕組みが明らかになり、新たな治療法開発への道筋が示されました。
HTLV-1関連脊髄症(HAM)という病気
HTLV-1関連脊髄症は、ヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV-1)に感染した免疫細胞が脊髄に浸潤し、進行性の神経障害を引き起こす難治性の神経炎症性疾患です。患者さんは以下のような深刻な症状に悩まされます:
- 運動機能の低下
- 感覚障害
- 排尿・排便障害
病気が進行すると車椅子や寝たきりの生活を余儀なくされ、患者さんとそのご家族の生活に大きな影響を与えます。HAMが疾患として認識されてから約40年が経過していますが、これまで感染細胞がどのように神経細胞を障害しているのかという分子レベルでのメカニズムは不明で、根本的な治療法の確立には至っていませんでした。
画期的な発見:神経障害の「真の犯人」RGMaを特定
神経再生阻害因子RGMaの異常発現
研究チームは、HAM患者さんのHTLV-1感染細胞が、神経再生阻害因子である**RGMa(Repulsive Guidance Molecule A)**を異常に発現していることを発見しました。RGMaは本来、発生期における神経回路形成に関わる膜タンパク質ですが、近年では神経細胞の生存や再生の阻害因子としても注目されており、脊髄損傷や多発性硬化症などでも病態に関与すると報告されています。
ウイルスタンパク質Taxによる発現誘導
重要な発見として、HTLV-1由来のタンパク質であるTaxの発現を誘導することで、RGMaの発現が上昇することが実験的に確認されました。さらに詳細な解析により、以下のメカニズムが明らかになりました:
- エピジェネティックな変化:HAM患者さんの感染細胞では、RGMa遺伝子の発現を調節するDNA領域において、転写抑制に関わるヒストン修飾(H3K27me3)が減少
- 転写活性化:Taxが内在性の転写因子Sp1を介してRGMa遺伝子にアクセスし、その発現を誘導
治療への希望:中和抗体による神経障害軽減効果を確認
実験的治療効果の実証
研究チームは、RGMaの働きを中和する抗体(Unasnemab)を用いた実験を実施しました。その結果、HAM患者さんの免疫細胞によって生じた神経細胞への障害作用が有意に軽減されることが示されました。これにより、HAM免疫細胞による神経障害にはRGMaが直接関与していることが実証されました。
臨床試験への展開
現在、RGMaを標的とした中和抗体(MT-3921)による第I相臨床試験がHAM患者さんを対象に進行中です。この治療薬が実用化されれば、HAMの進行を抑える新たな選択肢となることが期待されています。
研究の意義と今後の展望
40年間の謎を解明
本研究により、HAMにおける神経障害の分子機構が初めて解明されました。これは、HTLV-1がどのようにして神経障害を引き起こすのかという根本的な疑問に対する世界初の答えとなります。
新たな治療戦略の基盤
RGMaを標的とした治療法の可能性が示されたことで、従来の免疫抑制療法とは異なる新しいアプローチによる治療戦略の基盤が確立されました。
国際的な評価
この研究成果は、2025年6月9日に権威ある国際医学雑誌『JCI Insight』に掲載され、国際的な医学界からも高い評価を受けています。
患者さんとご家族への希望
これまで有効な治療法が限られていたHAM患者さんとそのご家族にとって、この研究成果は大きな希望となります。神経障害の根本的なメカニズムが解明されたことで、より効果的で副作用の少ない治療法の開発が期待されます。
また、現在進行中の臨床試験の結果によっては、近い将来にRGMaを標的とした新しい治療薬が患者さんのもとに届く可能性があります。
研究支援と今後の発展
本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の難治性疾患実用化研究事業および新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業の支援を受けて実施されました。
今回の発見は、HAMの神経障害の分子基盤の解明と治療法開発の両面に貢献する画期的な成果として、今後の難病研究にも大きな影響を与えることが期待されます。
HAM患者さんとそのご家族にとって、この研究成果が新たな治療選択肢の実現につながることを強く期待しています。